負けなかった、ただそれだけ

サッカーW杯、日本対クロアチアは非常にフラストレーションの溜まる試合だった。ナショナリスティックな要因からではなく、サッカーにおける技術的要因からである。
まず、この試合の結果に対する私見を述べると、クロアチアの拙攻により日本が幸運にも引き分けたに過ぎないと思う。そして、その引き分けから得られたものは、勝ち点1以外にはあまりないと思われる。日本のディフェンスラインは完全に崩壊していた。PKも含め3−0ないし4−0で敗戦していてもおかしくない試合だった。攻撃では決定的なチャンスが2,3度あったが、いずれもFWが満足いく動きを見せてくれなかった。特に玉田の飛び出しにより生まれた決定機は、自ら生み出したチャンスを自ら潰す一人相撲であった感が否めない。なぜ、ペナルティエリア内で前方が開けているのにフィニッシュに持っていかないのか。体勢は楽ではなかったが、苦し紛れのパスより、止められてもシュートを打つべき場面だった。
試合全体を通しても、納得いく動きを見せてくれたのはGKの川口を除けば中田、小笠原、稲本(途中出場)、守備面では難があったが三都主、この4人だけ。中村俊輔は体調不良で本来の性能を発揮できず、大黒には十分な時間がなかったが、他の選手の動きには不満を感じる。選手起用の問題もあるだろう。個人的意見だが、オーストラリア戦の結果から柳沢はスタメンから外すべきだったと思うし、4バックなら最初から福西ではなく稲本を出すべきだった。
しかし何よりも、見ていて焦りはしても興奮しない試合だったことこそが、日本サッカー最大の問題ではないかと思う。サッカーが退屈で、脆い。ジーコだけの問題だろうか。確かに彼は監督として、育成型ではないだろうとは思う。日本サッカーには時期尚早なタイプの監督だったかも知れない。だが、彼に今の代表に関する全責任をなすりつけては、日本サッカーの発展はないと思う。むしろ、ジーコはドイツに至るまで、日本のサッカーを退屈から解放する努力をかなりしてきた。その点において彼は、戦術に埋没するきらいのあった前監督より日本のサッカーを前進させたはずだ。それでも、現状はこうだ。C組のアルゼンチンの怒涛の攻撃、あるいは、オランダ対コートジボワールの高いレベルの個人技と戦術の融合したチーム同士の激闘を見た後だと、正直白けるというのが本音だ。それでも、先人たちはその差を痛感し、埋める努力をしてきた。ここまで現代表を批判的に書いてきたが、チーム自体はW杯大会を重ねる度に確実に良化して来たと思う。ただ、ここに来て進歩のペースが鈍っているのは確かだ。生みの苦しみかも知れないが、今回大会はしっかりと反省点を洗い出し、次の体制に繋げなくては、ジーコの日本サッカーにもっと創造性を、という試みは無駄になる危険を感じる。
高いレベルで期待するからこそ、今回の引き分けと現状の代表には敢えて苦言を呈する。

サッカーW杯開幕

元々はサッカーむしろ好きですし、伝説的プレイヤーには敬意を表しているけど、最近の日本代表とヨーロッパの一部のリーグに限ったサッカーブームにはやや食傷気味の私にとってはやや複雑なイベントの到来です。厳密に言えばイベントそのものより、日本のTV報道が嫌、というところですか。
前回大会は地元故時間帯が良かったし、他国代表への関心も高かったので、日本以外の国の試合もなかなか楽しめましたが、今回は他国に関する報道はあまり期待出来そうにないですしね。試合を絞れば時間帯からすると観戦は出来そうですし、日本戦以外は「死の組」C組や、マイナー国(コスタリカ、トリニダート・トバゴ)中心に趣味的に見ようかと。日本の予選リーグ戦績予想なんて野暮な真似はやめておきます。3戦全勝はないでしょうけど(笑)、3戦全敗から突破まではあるでしょうから。クロアチア戦終わるまでは何とも言えませんがな。

公共放送は政府広報か

別に普段はそれほど熱心にテレビを見るわけでも、ましてやNHKウォッチャーでもないのですが、テーマ上無視出来ないので「NHKスペシャル 変ぼう(原題ママ)する日米同盟2」は視聴しました。第一部はチェックしていませんでしたが、それは故意ではなく単なる見落としです。
先日はNHKETVをある程度評価する文章を書きましたが、むしろこの番組の方がNHKの「公共放送としての」現状と限界を示しているかも知れません。法律面での米軍再編と日米防衛連携の問題や、外交上の問題は一応指摘するものの、基本的に最新防衛事情のアナウンスに留まっている印象は否めません。取材対象も日米政府、軍(自衛隊防衛庁)要人のみであり、結果としてこれは政府広報ではないかというのが私見です。一応額賀防衛庁長官と学者、軍事専門家(それも総合して再編賛成派3対反対派1というフェアとは言い難い構成。反対派も安保容認派)によるディスカッションも収録されてはいますが、その内容も含め「日本としては時代の変化に合わせ、合衆国の新しい軍事戦略に全面的に協力したい、だからそれを国民の皆さんに広く知って頂きたい」というような番組構成になっている感が否めないのです。
勿論、直接そう言っているわけではないのですが、中立を装いつつ国策をほぼ無批判に垂れ流すというのは、むしろあからさまなよりも質が悪い。アジアへの視点も、もっと言えば日本の一般市民、基地のある地域の人々への視点もない。反対意見だけを拾えと言うわけではなく、それを地域エゴと片付けるにしても、せめて触れるのが報道の最低限の仕事じゃないかと。最初に座間市民の簡単なインタビューだけで済まし、地元の生々しい基地再編への反対活動(沖縄に限らず、神奈川の各基地所在自治体も然り)には蓋をしたこの番組は、やはり政府広報と言わざるを得ないでしょう。
理想論だけ言っていれば現実が変わるわけではありません。しかし、理想なき現状肯定はその悪しき部分を追認し、より状況を悪化させることになるだけです。石橋湛山の「小日本主義」にはまだ早いでしょうが、せめて現実を「総合的に」捉え、少しでも脱基地、脱米軍、脱軍国主義への光を見出そうとしなければ、戦争をなくすどころか、減らすことすらままなりますまい。将来に希望を見出そうとする者に中途半端に期待させ、彼らを裏切らないためにも、NHKは建前だけの中途半端な中立姿勢を捨て、報道機関ではなく政府広報機関であり、権力チェックも国民への視点もないことを顕わにしてはいかがでしょうか。現場レベルでは頑張っているスタッフもいるでしょうが、だからこそ敢えて言わせて頂きます。

ドキュメンタリー今昔

つい先程まで、NHKETV「ETV特集 もういちどつくりたい」を観ていました。普段はアンチNHKですが、何だかんだと時折質の高い番組、特にドキュメンタリーを流すのは認めるところ。
番組は九州(RKB毎日放送)のテレビマン、木村栄文氏のドキュメンタリー番組に賭けた半生と、表舞台から退いた後のパーキンソン病との闘病記。私はテレビというか映像の世界を志したことはないですが、その作品の根底にある哲学には、映像、文字という分野を超えて敬意を感じます。彼の作品は身近な問題を自分の目で切ってみせ、そして徹底して「下からの視線」で描くもの。これは私が目指すところでもあります。今のメディアにはそれが決定的に不足していると思いますし、その状況が続く限り、30年以上経過した彼の作品は風化しないでしょう。
闘病記は、亡き娘の生涯を追うドキュメンタリーを木村氏が制作するところと並行して取材が行われており、パーキンソン病で満足に声が出ない中での木村氏の取材風景も出てきます。引き際の美学という思想も、特に肉体の限界と戦うアスリートや、長くその位置にあると弊害が大きくなる権力者にはあると私は考えますが、故本田靖春氏の死亡時にも記したような、いわば業にも近い意思の発露を木村氏には感じました。それは老醜ではなく、むしろ尊さすらあります。自分にそれが出来るのか、改めて意識させられました。私としては非常に密度の濃い一時間半(NHKですから宣伝も挟みませんし)でした。
この番組とほぼ同時間に、フジ系列で丁度ドキュメンタリー番組(「もしも世界が100人の村だったら4」)をやっており、私も前半は少し観ましたが、確かに世界に強烈な不均衡があることはそこに映されていても、それそのものを提示するだけの手法にはあまり新鮮味がなく、また、不均衡に対する作り手の怒りも、それを構造的に問い詰めようとする姿勢も、ほとんど感じられず、ドキュメンタリーなのに無味無臭な感が非常に強くありました。安倍晋三の物言いも気に入らなかったですね。「日本は支援はしている」とは言っても、なぜその支援が末端まで行き渡らないかという思考が皆無でしたし。はっきり言って出演タレントやアナウンサーの方が(安倍と対比して)遥かに立派でしたよ。安倍晋三が涙を流すシーンもありましたけど、私としてはまず泣くより怒りたい。怒るだけでは何にもならない、まず現実的な支援が大事、という向きもあるでしょうが(綾戸智絵が番組内でそう述べていた)、泣く=同情することでは現実を追認するだけです。怒らなくては問題は見えてこない、怒りがあるからこそ、木村氏のドキュメンタリーは泥臭くとも闇を白日に晒し、更に現実を撃つ力があった、と私は考えます。大体日本国内にも問題は山積しているのに、それには目を瞑り、海外、しかも途上国の事例だけを取り上げるのは、それが批判しても安全で、視聴者受けもいいから、と言っては、少々言葉が過ぎるでしょうか?

ヴィクトリアマイル

相変わらず就職浪人、金欠なのでたぶん買えません(笑)
マイルは牡牝差が比較的出にくい距離なので、将来的には安田記念を目指す超一流女傑マイラーと、ここ勝負で来る中距離ベストの牡馬相手に足りないタイプとに二分されそうな予感のあるレースですが、記念すべき第一回は、
ラインクラフト
エアメサイア
ヤマニンシュクル
ディアデラノビア
と適当に予想。本命は自信ありますけどね。ダンスインザムード牝馬限定戦の緩い流れでは折り合いつかず、というオチがありそうで信頼できず。エアメサイアはマイルでは逆転までは厳しいと見て実質連下。Yシュクルは3連複、ワイド不動の軸馬(笑)、ディアデラノビアは東京コース、ここ二走での復調気配と楽しみは多い、も、この組み合わせでは安くて買えません。穴候補はムラ駆け&東京1マイル合いそうなアズマサンダース。でも穴人気しそう。よって見るだけ。

しかしNHKマイルCのレベルは基本ずっと低下傾向なんですかね。まさか重賞でも全然足りていなかったロジックが勝つとは。今年の3歳は、「古い日本血統の復権」が微妙にトレンドだったとは言え、それ+武豊騎乗だけじゃ買えないですよ。外車が質、量とも落ちているのが低迷の理由なのか。シーキングザパールやエルコンは昔語りになっちゃいましたもんね・・・・。せめてテレグノシス古馬になってからGⅠ勝っていれば。

普天間移設、政府案実質容認へ

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-13536-storytopic-3.html
ブーゲンビリア
ヤマトンチュが言うのもおこがましいけど、まだ稲嶺知事より神奈川の座間、厚木、あるいは岩国とかの首長の方が頑張っている気がしてなりません。詳細はリンク他一般ニュースに譲るとして、今回の米軍再編を巡る言説の中で、最も本質に迫っていると思ったのがこれ→http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/etc/omoigoto/
沖縄出身の歌手・Cocco毎日新聞での連載ですが、彼女の言葉で何度目かの鈍器で殴られたような衝撃を受けました。最も根源的な問いなんだけど、反対派もこの視点を忘れている気がしてならないです。たぶん、本当に「ぶっ殺される」べきなのは日米の政治屋は勿論、沖縄県外で移転受け入れ反対を唱える「良心的」なエゴイストたちや、曖昧な理解と同情だけ示して問題の本質から逃げたリベラリストたち―恐らく私もそう―なんじゃないか。己のこの問題へのスタンスの甘さを見透かされたような、そんな鋭い言葉でした。毎日新聞の紹介文では、「沖縄の風、透明メッセージ」なんてあるし、最近鋭さが表にあまり出てこないので忘れていたけど、基本血生臭さを凝縮したようなメッセージの発信者だったなと再度痛感。その上で、現実に埋没した凡人の私は、せめて今すぐ全ての基地をなくせないのなら、押し付けへの反対だけは最後までするべき、というありきたりな抵抗論に落ち着く次第です。小さいねえ、我ながら。
Coccoに関連してもう一つ。共謀罪教育基本法改定案など、今審議中の「心」に関連する法案について、彼女の「Sing a song〜No music no life」は今こそ声を大にして歌いたいですね。精神的拘束をイメージし、精神の自由の尊さを考え直すというのもさることながら、生とは何か?ということを問い直す意味でも。
以前、ミュージカルバトンでもこの歌については書きましたが、私がこの歌を初めて聴いて鈍器で殴られたような衝撃を受けた高校生当時―かれこれ10年近く前の話ですが―より、彼女がこの歌で発したメッセージはより重要、かつ危機的な問題になっている気がします。だからこそ、もう一度しっかり受け止め直さなければ、と思うのですが。

今回は論説というほどの体裁ではないけど、何か最後の締めが論説調になってるかも。ちなみに画像は「Sing a song〜No music no life」収録の『ブーゲンビリア』。

共謀罪、今日強行採決?

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/60c39fa286a40a2079bdfe0535a37223
ブログでのやりとりすら犯罪になりかねない(笑)、天下の悪法、共謀罪が今日強行採決される見通しだそうで。私は幸い今無職だし、海外逃亡でもしましょうかね。とは言え、諦めの悪い性格なのでたぶん逃げませんけど。
権力と闘う全ての人達へ、エールを。バッドラック!