普天間移設、政府案実質容認へ

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-13536-storytopic-3.html
ブーゲンビリア
ヤマトンチュが言うのもおこがましいけど、まだ稲嶺知事より神奈川の座間、厚木、あるいは岩国とかの首長の方が頑張っている気がしてなりません。詳細はリンク他一般ニュースに譲るとして、今回の米軍再編を巡る言説の中で、最も本質に迫っていると思ったのがこれ→http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/kokoro/etc/omoigoto/
沖縄出身の歌手・Cocco毎日新聞での連載ですが、彼女の言葉で何度目かの鈍器で殴られたような衝撃を受けました。最も根源的な問いなんだけど、反対派もこの視点を忘れている気がしてならないです。たぶん、本当に「ぶっ殺される」べきなのは日米の政治屋は勿論、沖縄県外で移転受け入れ反対を唱える「良心的」なエゴイストたちや、曖昧な理解と同情だけ示して問題の本質から逃げたリベラリストたち―恐らく私もそう―なんじゃないか。己のこの問題へのスタンスの甘さを見透かされたような、そんな鋭い言葉でした。毎日新聞の紹介文では、「沖縄の風、透明メッセージ」なんてあるし、最近鋭さが表にあまり出てこないので忘れていたけど、基本血生臭さを凝縮したようなメッセージの発信者だったなと再度痛感。その上で、現実に埋没した凡人の私は、せめて今すぐ全ての基地をなくせないのなら、押し付けへの反対だけは最後までするべき、というありきたりな抵抗論に落ち着く次第です。小さいねえ、我ながら。
Coccoに関連してもう一つ。共謀罪教育基本法改定案など、今審議中の「心」に関連する法案について、彼女の「Sing a song〜No music no life」は今こそ声を大にして歌いたいですね。精神的拘束をイメージし、精神の自由の尊さを考え直すというのもさることながら、生とは何か?ということを問い直す意味でも。
以前、ミュージカルバトンでもこの歌については書きましたが、私がこの歌を初めて聴いて鈍器で殴られたような衝撃を受けた高校生当時―かれこれ10年近く前の話ですが―より、彼女がこの歌で発したメッセージはより重要、かつ危機的な問題になっている気がします。だからこそ、もう一度しっかり受け止め直さなければ、と思うのですが。

今回は論説というほどの体裁ではないけど、何か最後の締めが論説調になってるかも。ちなみに画像は「Sing a song〜No music no life」収録の『ブーゲンビリア』。