ドキュメンタリー今昔

つい先程まで、NHKETV「ETV特集 もういちどつくりたい」を観ていました。普段はアンチNHKですが、何だかんだと時折質の高い番組、特にドキュメンタリーを流すのは認めるところ。
番組は九州(RKB毎日放送)のテレビマン、木村栄文氏のドキュメンタリー番組に賭けた半生と、表舞台から退いた後のパーキンソン病との闘病記。私はテレビというか映像の世界を志したことはないですが、その作品の根底にある哲学には、映像、文字という分野を超えて敬意を感じます。彼の作品は身近な問題を自分の目で切ってみせ、そして徹底して「下からの視線」で描くもの。これは私が目指すところでもあります。今のメディアにはそれが決定的に不足していると思いますし、その状況が続く限り、30年以上経過した彼の作品は風化しないでしょう。
闘病記は、亡き娘の生涯を追うドキュメンタリーを木村氏が制作するところと並行して取材が行われており、パーキンソン病で満足に声が出ない中での木村氏の取材風景も出てきます。引き際の美学という思想も、特に肉体の限界と戦うアスリートや、長くその位置にあると弊害が大きくなる権力者にはあると私は考えますが、故本田靖春氏の死亡時にも記したような、いわば業にも近い意思の発露を木村氏には感じました。それは老醜ではなく、むしろ尊さすらあります。自分にそれが出来るのか、改めて意識させられました。私としては非常に密度の濃い一時間半(NHKですから宣伝も挟みませんし)でした。
この番組とほぼ同時間に、フジ系列で丁度ドキュメンタリー番組(「もしも世界が100人の村だったら4」)をやっており、私も前半は少し観ましたが、確かに世界に強烈な不均衡があることはそこに映されていても、それそのものを提示するだけの手法にはあまり新鮮味がなく、また、不均衡に対する作り手の怒りも、それを構造的に問い詰めようとする姿勢も、ほとんど感じられず、ドキュメンタリーなのに無味無臭な感が非常に強くありました。安倍晋三の物言いも気に入らなかったですね。「日本は支援はしている」とは言っても、なぜその支援が末端まで行き渡らないかという思考が皆無でしたし。はっきり言って出演タレントやアナウンサーの方が(安倍と対比して)遥かに立派でしたよ。安倍晋三が涙を流すシーンもありましたけど、私としてはまず泣くより怒りたい。怒るだけでは何にもならない、まず現実的な支援が大事、という向きもあるでしょうが(綾戸智絵が番組内でそう述べていた)、泣く=同情することでは現実を追認するだけです。怒らなくては問題は見えてこない、怒りがあるからこそ、木村氏のドキュメンタリーは泥臭くとも闇を白日に晒し、更に現実を撃つ力があった、と私は考えます。大体日本国内にも問題は山積しているのに、それには目を瞑り、海外、しかも途上国の事例だけを取り上げるのは、それが批判しても安全で、視聴者受けもいいから、と言っては、少々言葉が過ぎるでしょうか?