「個人の問題」ではない

先日、医大生の友人と酒を飲む機会があった。長い付き合いのある旧友であり、最初はお互いの近況や同級生の話題などを話していたが、酒が進むにつれお互いの将来へのビジョン、そして県内においては高い関心を集めている、福島県立大野病院の医療事故事件へと話が発展していった。
この事件についての詳細は既報の一般メディアに譲るが、我が友はしきりにこう強調していた。
「確かに事故があったのは事実だし、その結果患者が死んでしまったわけだけど、メディアの『殺人者』扱いはあんまりだ」
私は必要以上に医療事故を起こした医師を庇うつもりはないし、遺族の気持ちを鑑みれば提訴するな、という方が無理だと思う。医師が法律に定められた医療事故の24時間以内の警察署への報告義務を怠ったことからも、隠蔽を図ったと見られても仕方がない側面がある。しかし、一方で友人の弁も無視することが出来ない。この事件を単なる「無責任で技術の低い医師によるミスとその隠蔽」で片付けられるほど、医療の置かれている現状は楽観的なものではなく、またそれは福島県に限った問題ではないと思えるからだ。
今回の事故の後、福島県医大は大野病院を含む県立3病院への産婦人科医の派遣取り止めの方針を固めた。今回の逮捕への報復的措置といううがった見方もあるだろうが、友人曰く背景にはこの事件以前からの深刻な医師不足とそれに伴う過酷な労働実態があり、こうしなければ第二、第三のK医師がいつ発生してもおかしくなく、また、医師自身の過労死の危険も高いと言う。私自身身内に医療関係者がおり、その厳しい労働実態については理解しているつもりであったが、そこまで状況は悪化していると聞くと、今回の事故はシステムの疲弊への警鐘であるとの思いを改めて強くする。
昨日(3/17)、県立医大の佐藤章教授を代表とする有志グループ「周産期医療の崩壊をくい止める会」がK医師の逮捕は不当であり、事故再発防止の為に医療体制整備を望むという陳情書厚生労働大臣に提出した。しかし「官から民へ」の旗印の下、医療においても自由診療推進、公立病院統廃合の流れが進む今、田舎の医者、患者の叫びはどこまで届くか。医療は憲法13条で保障された「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を守る最低限の社会インフラであるはずだが、それすらこの国では危ういのだ。
宴もたけなわの頃、友人は「本当は内科で勤務したいが、労働環境を考えるとどうしても二の足を踏んでしまう」と漏らした。医者も、患者も救われない医療の現状。医師増は勿論のこと、現場と患者の視点に立ち、経済効率以外の社会的コストも考えていかないととは思うが、地元でさえ事件の表層のみに捉われる報道が多い気がしてならない。そして、こんな訴えをすることぐらいしか出来ない己がもどかしい。

3/23 参考記事追加 http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060323dde007100036000c.html