裁判員制度が出来ない社会

http://www.asahi.com/life/update/0428/002.html
裁判員制度に関する最高裁国民意識調査の結果が先日公表された。リンクを貼った朝日新聞記事は「『3日以内なら参加可』4割」と見出しを打ったが、これは言葉のあやで、実質は「一日も参加できない」と回答した3割の人々を含め、「そんなものに関わっている暇はない」と考える国民が7割と圧倒的大多数であると考えて良いだろう。
そもそも裁判員制度自体、その必要性、存在意義に大いに疑問が残るが、それは別としても、この回答結果には何ら疑問を抱かなかった。制度だけは作ってみても、その実現のための社会的障壁は改善されないどころか、むしろ悪化しているのだから。
今回の意識調査で参加困難と回答した人たちの挙げた理由の上位は、「仕事」(会社員、自由業者の8割強を占める)、「育児」、「介護」(いずれも主婦の4割ずつ)とあるが、これらの障壁を取り除く工夫を政府は果たしてしてきたのか。今政府の諮問機関である規制改革・民間開放推進会議が検討している事項の一つに保育所、幼稚園の実質的な参入規制撤廃があるが、これは保育関係者から「保育の質の低下を招く」と批判を受けているいわくつきの代物である。仕事に関しては、民間企業で勤務経験のある方なら、概ね参加困難と回答された方々の気持ちは理解出来るのではないだろうか。現状、裁判員制度の為に休みを割く余裕のある労働者がそうそういるとは思えない。大多数の労働者が、年休すら満足に消化出来ない現実を政府ないし諮問機関の関係者はどこまで認識しているだろうか。また、政府はその労働状況の改善のために何かしら手を打っただろうか?とてもそうは思えない。私に断言出来るのは、むしろ経団連の打ち出した「雇用の規制緩和」に追従し、労働市場の更なる不安定化、労働環境悪化に手を貸した、ということだけだ。
裁判員制度自体は有効性に疑問は残っても、それそのものを完全否定するだけの論拠は今のところ持ち合わせてはいない。だが、このままでは確実に失敗するとは言える。人々は自分の生活だけで手一杯で、下手をするとそれすら覚束ないのだ。そんな状況で第三者を客観的に裁くことに時間を費やす余裕などあるのか。まず、裁判員制度を導入するだけの社会的背景を整理することが先決だろう。裁判員制度など、それより遥かに優先順位の低い事柄であると思うのだが、これは言い過ぎだろうか。