会社不適応

私の敬愛するジャーナリスト・ノンフィクション作家の本田靖春氏の絶筆『我、拗ね者として生涯を閉ず』ISBN:4062125935 の中で、氏は自らの反骨精神を「のどに引っかかった魚の小骨」と表現していた。これは勿論謙遜も多分に含んでいて、氏のそれは小骨ではなく一本筋の通ったもので、私はそれから比べればうなぎか小魚の喉にもかからないような小骨かも知れないが、それでも喉にかかることはあるのかも知れない、とふと思い、久し振りにきちんとした形でブログに着手しました。
まあ、要するに私は究極的に「会社人」不適応なのかも、ということでもあるのですが、自分の会社の社長に対して内心憤るような人間は、たぶん出世してもろくな退職の仕方をしないだろうと思ったのです。私は今の職場環境、特に人間関係ではおおむね満足していますし、上司も尊敬出来る人物ではあるけれど、いや、むしろそうであるからこそ、かも知れませんが、とある機会に今の勤め先の上部組織のあり方に改めて疑問と憤慨を感じてしまいました。
向こうにしてみれば、たかが一社員が何を思おうが痛くも痒くもないでしょうが、私は今の勤め先の先行きの暗さをそこに見て、はっきりと将来的な辞意を固めました。金銭的なことやまだ今の上司の下で勉強すべき事が多いというもあり、すぐ辞めるというわけではないですが、この会社に生涯を捧げる、なんてことはまずないでしょう。上司やベテラン社員はおおむね「いつものことか」という諦めの反応でしたが、私には若い故の青さもあるとは言え、定年まで仮に働く(そんなことはないですが)とすればあと30余年、この状況と対峙する可能性があるわけで、まだそんな心境には到底なれないのです。
しかし、私には幸か不幸か以前から他の目標があり、そのために会社を辞める、という選択肢が前もってあったわけですが、この会社で一生働くつもりで入社し、私と同じような気持ちを抱いた同期が仮にいたとしたら、彼ないし彼女には腐るか、目的を失ったまま退職するしかないのかと思うと暗澹とした気持ちになります。実際、既に辞めた顔見知りも何人かいるわけですが・・・・。或いは、無謀と知っていてもそれと闘い、あえて敗れることも必要なのでしょうか?そこに辿り着くまでには長い年月が必要だし、確実に人生を棒に振ることになりますから、たぶん私は敵前逃亡→転進という選択をしますが、負い目にはなりそうです。人生などそういったことの繰り返しと言えばそこまでですが、どこかでその借りは返さねば。