あのニュースについての、私なりの考え

ここにも時々コメントを残される、オフライン上の知人tazan氏のブログ、「他山の石書評雑記」でも触れている、NHKへの安倍晋三中川昭一両議員の「検閲」疑惑(朝日は今回、誤報疑惑の当事者でもあるので毎日を流用)について、私も一言。
番組で触れられた「民衆法廷」については、私は必ずしも積極的にに支持するわけではなく、戦争犯罪が実際にあっても、その裁きは私刑ではなく正式な裁判で裁かれるべきであり、「民衆法廷」は所詮市民運動家の自己満足以上にはなり得ない、戦争犯罪を反省するなら、異なるアプローチの仕方がある、とは思います。また、番組自体も、「民衆法廷」を主催した市民団体の関係者にNHKエンタープライズ21NHKの番組制作に携わる関連会社)プロデューサーがいたなど、放映に至るまでの経緯に疑問点はありますが、ここで第一に問題にすべきなのは内容そのものより、いかなる形であれ公共放送機関であるNHKが、その報道の独立性を権力介入により守れなかった可能性がある、ということだと思います。そして、この問題は、一歩間違うと公共電波に限らず、ネット等も含んだ「表現の自由」が制限されることに繋がりかねないということを、もう少し「左翼」以外の人達も考えてもいいんじゃないでしょうか。確かに、内容が内容だけに、左右双方とも政治思想を前面に出した感情論になるのは分かるのですけれど、表層に囚われて大事な点を見失っちゃいないか、というのが私の本音です。
仮に、安倍氏らの言い分通り、面会は放送終了後のみであり、問題の部分のカットはNHK側の「自主規制」であったとするなら、NHKサイドの「自浄能力」に敬意を表すると共に、番組編集能力に疑問を呈さねばならないでしょう(笑)。それに、NHKの予算審議期間中に、ヒラの一議員ならまだしも、内閣ポストにあった人物から圧力がある、というのは尋常ではないですし。
この疑惑を機に、表現の自由と、NHKの在り方について改めて考えてみようと、私は考えています。
追記:http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050116k0000m040049000c.html
仮に「自称・左翼」の犯行であるなら、こんなことは何の解決にもならないと思う。批判は合法的、建設的に行われるべき。