東北大学、構内での合格発表廃止を検討

河北などの地元メディアのみならず、全国的にも国公立大で初の検討ということで取り上げられているようですが、確かに最近は電子郵便やネットの発達で見に来る学生も少なく、国立大学の独立法人化の動きとも絡んで、経費節減の一環としてこういう動きがあるようです。
私は人生のうちでこういう場面を今後迎える可能性は極めて低いし、今の大学の発表も電話か郵便で確認した(第一遠いし)記憶があります。こうして無駄が省かれていくことは、基本的には良い事なんでしょうが、一方で、春の風物詩が消えていくことに対する感傷も、わずかばかりあります。無駄を省くということは、何かを捨てることであって、一般には捨てるものより得られるものが多ければ、躊躇なく実行するものですが、効率のみを追及していく世の中というのも、どこか味気ないもので、やはり人間、どこかに無駄な部分が少しないと面白くないと思うのですが、どうでしょうか?