早や三年

おとといのことですが、NYテロ事件(「同時多発テロ」という言い方には、その抽象性も含めて違和感あり)から三年が経ちました。米国大統領選の最中ということもあり、テレビなどでは盛んに合衆国内の追悼セレモニーなどを流していましたが、どうも今更ながら、犠牲になったのは米国民だけじゃないんだぞ、という思いを抱かずにはいられません。
日本人だって、EU圏の人々だって、勿論これ以外の地域の出身者も、少なからず犠牲になっています。テロが発生したのも、最も国民が犠牲になったのも合衆国であり、遺族の方々は同等、あるいはそれ以上に痛みを抱えているのは重々承知しているのですが、どうも政治が絡むと、「米国のための」追悼セレモニーになり、そこにはこの国が本来重んじてきたはずの「多様性」が入り込む余地が無いように感じられたのです。
日本では関連したTVドラマが放映されたようですが、基本的にはあまりこのことを顧るというムードはあまりないようで、これもこれで、どうかなと。この問題は今尚世界の最重要テーマの一つであり続けているわけですし、忘れるにはあまりに早いと思うのですが。私は今でも、何気なくつけたテレビが映したあの衝撃は忘れられませんし、本音としてはあれは三年も経ったこととは思えない。対テロ戦争には、私は現状においては否定的ですが、あの事件を、全世界的問題として記憶し、語り継ぐことの必要性は感じています。一個人としても、あの事件は何だったのか、9月11日の度に問い続けていくつもりです。