「決まり」と「融通」

法律のギリギリを突く本を紹介した後でこんな話も何なのですが、ちょっと下宿に戻る際の列車内で考えさせられることがありました。
私は特急列車の自由席に乗っていて、最初乗車してすぐに車内検札が来て、その後途中で小さな子供二人を連れたご夫婦が離れて座っていた(私の隣にお父さんが来た)ので席を替わったのですが、すぐ隣の席に移っただけで、もう一度寝ているのを起こされて検札をさせられました。
最初の検札の時の車掌さんの顔は覚えてなかったので、ひょっとしたら途中で交代があり、事情が分かっていなかったのかも知れませんし、そうでなくても彼は決まり通りに、座席を移った私に対し「業務」を行った可能性もあります。たぶん、車掌氏には何の落ち度もないでしょう。ただ、続けて乗っていたのであれば、少し想像力を働かせることで、私がなぜ席を移ったか、分かったんじゃないかな、とも思うのです。そして、検札の必要がないことも分かった筈だと。
まあ、社会人の方からは「実際働いている時にそこまで余裕はない」、「社会人というものは決まりごとに従って動くものだ」というお叱りを受けるかも知れません。しかしながら、JRもサービス業であるなら、そういう融通を効かせることは結果としてプラスなんじゃないでしょうか。何より、このことに限らず、最近、「決まり」を重視し過ぎるが故に、本来人間が持つ良い意味での曖昧さ、融通といったものが忘れられているように思えるのが気になるのです。
法律を遵守するという精神が要らない、というわけではありません。ある程度はそういうものがないと、社会が成り立たないですし、悪法にはNOと言っても全ての法律を否定することは無理です。ただ、何から何まで法律に縛られて、悪法にも従う社会は、法律の無い社会よりも酷いものでしょう。そして、何事も杓子定規で計ることは、以前に触れた思考停止にも繋がります。
検札のこと自体は大したことではないのですが、『カネに勝て!』の内容にも絡んで、少し気になった次第です。