修養団研修批判

と、ここまで書いておいて研修批判になるわけですが、まあウチの会社単体というより日本社会全体に繋がる問題であるし、私はジャーナリスト志望者として「愛あればこそ問題を撃つ」をモットーにしておりますので、そのあたりご容赦下さい(笑)
http://www.syd.or.jp/
佐高信『ビジネス・エリートの意識革命』ISBN:4195984009 で批判を受けてから既に30年弱が経つ日本の企業研修の代名詞、財団法人修養團(略称SYD。以下修養団で統一)ですが、私の入った会社でもご多分に漏れずこの研修を受けることとなりました。正直なところ、私はほとんどネタとして聞き流していましたが(笑) 伊勢は遠いため、悪名高い五十鈴川の禊研修はありませんでしたが、だからといって、修養団研修に疑問がないわけではありません。
まず一つ目の問題点は、修養団の研修の多くはその背景に仏教、神道の影響を持つこと。良く言えば「神仏の叡智のいいとこ取り」とも「日本版『プロテスタンティズムと資本主義の精神』」とも言える(あくまで言いようであり、私がそう思っているわけではありません。念のため)かも知れませんが、彼ら自身、研修の多くに「〜行」と銘打っているよう、修養団研修は実質的には宗教的修行を半ば強制するものであり、これは憲法20条の信教の自由と強制の禁止に反する恐れが極めて高い(判決文みたいな文体ですみません)という問題があるわけです。
そしてもう一つの問題点は、彼らの思想性の危険。単に右翼がどうこう、というのではなく、彼らの思想の根底には個の圧殺、優性思想、精神万能主義、といったものがかなり露骨にあり、それらは日本的「世間」には適応しても、国際的には危険極まりないものである(私は「グローバリズム」という名の世界の均一化には断固反対しますが、一方で、国際協調を目指す上で共通したルールの必要性も当然感じています)のではないかと思うのです。
今後、この問題は時間のあるときにもう一度検証してみるつもりです。今回はまず、問題提起をしてみたいと。