人生は競馬の比喩である

「競馬が人生の比喩なのではない、人生が競馬の比喩なのだ」とは寺山修司の名言(出典上は、「六さんは、競馬を人生の比喩だと思っていたが、それは間違いなのだ。人生を競馬の比喩だと思わなければならないのだ」*1)ですが、この言葉を岡部幸雄騎手引退の一報でふと思い出しました。
この御年56歳のベテランジョッキーは、私が競馬を見始めた時期、既に円熟期にありました。私は幸い、ライバルの柴田政人現調教師の騎手時代をぎりぎり見る事が出来ましたが、この二人は、競馬というものを知る上でこれ以上ない教材でした。柴田政人は私が競馬に慣れ親しんでまもなく、落馬事故で騎手を引退、以降は岡部が私の競馬教科書となりました。騎乗に限らず、その競馬観、競馬への姿勢、生き様、全ての点で我が競馬の師と言える(勿論、彼以外の競馬人からも影響を受けるところはかなりありましたが)存在で、一年のブランクを克服した去年は、もしや念願の桜花賞制覇=旧八大競走*2全制覇もあるか、と一瞬期待を抱いていたのですが、やはり毎週レースに乗れるコンディションを作れなくなった段階できっぱりと現役を退く決意を固めたのでしょう。残念ではありますが、ある意味では、騎手人生を全うして辞められるわけで、事故で騎手生命を絶たれたライバル二人―柴田政人福永洋一―に比べ、幸せであるのかも知れません。
優駿』今月号には、恐らく現役騎手として最後になるであろう彼に関する記事がありました。巻頭インタビューの武豊に比べれば地味ではありますが、巻末の「騎手のカラダを科学する」という記事の一部で、身体能力維持のための過酷なトレーニングを行う岡部騎手への短いインタビューです。これを思い返して、「これがプロだよな」と改めて感心すると同時に、それでも終わりはあるのだな、とも感じずにはいられませんでした。どんな偉大な名馬にも引き際があるように、人もまた(騎手に限らず、ですが)引き際があると。
まだ私は引き際を考える年齢ではないですが、また一つ、岡部幸雄という人から何かを学んだ気がします。今はただ、お疲れ様でした。

*1:「競馬場で逢おう」。『馬敗れて草原あり』ISBN:4041315131

*2:1984年のグレード制度導入以前の大レースの一つの指標。春秋の天皇賞、クラシック五レース、有馬記念を指す。宝塚記念エリザベス女王杯(現秋華賞)、ジャパンカップは含まない