アテネ五輪に思うこと

現在、アテネ五輪真っ最中、メディアもほぼオリンピック一色といった様相です。今回は総じて日本選手は好調のようで、活躍された選手は練習の成果が実って何よりですが、どうしても夢破れた人達のことが気になります。特に、柔道で金メダル確実と言われながら思わぬ敗戦を喫した井上康生選手が、ある人物と重なって見えてきます。
円谷幸吉、と言っても私と同世代の方はあまり分からないかも知れませんが、東京オリンピックラソン銅メダリストで、福島県出身の人物です。彼は東京五輪に続くメキシコ五輪を目の前にして自ら命を絶ちました。或いは、日本国内の大き過ぎる期待に潰されたとも言えるかも知れません。
今は当時に比べればスポーツ=国の威信を賭けた戦いという要素は(日本では)大分少なくなってきてますし、活躍した選手を見ても「日の丸を背負って〜」というような変な悲壮感は見られません。しかし、井上選手の姿を見た時、前回のシドニー五輪や国内大会と違い、心なしか顔が憔悴しているように見えました。今回の敗戦の理由については精神的な問題から審判に対するものまで諸説出ていますが、もし過大な期待に井上選手が潰されたとするなら、まだ第二の円谷幸吉の悲劇を生む土壌を我々見る側は捨てきれてないのでは、と考えずにはいられませんでした。観客側も勝負事にアヤはつきもの、勝負は下駄を履くまで分からないということを肝に銘じると共に、いい加減スポーツを政治的に見ることはやめようじゃないかと。そうでなければ私達は試合に負けたサッカー選手を虐待したウダイ*1や、隣の国の首領様を批判する資格がないんじゃないかと、そう思った次第です。日本選手が活躍するのが嬉しいというのは、私が甲子園で東北のチームを応援するのと同じで別に不自然ではないと思いますけどね。
今のところあまり聞きませんが、井上選手に対する過剰なバッシングが起きないことを祈ります。

*1:フセインイラク大統領の長男